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スイスで暮らす日々のあれこれ

ツェルマットに隠されたスイスと日本の繋がりとは…?

スイスと日本は今年で国交樹立150周年の年を迎え、両国に関心の深い人々の間では大きな話題になっていました。(関連記事:こちらこちらをどうぞ)

そして、ツェルマットでも日本との繋がりを感じられるものがいくつかありましたので、ご紹介したいと思います!

 

Zermatt-Myoko

 

青空の下でツェルマットを歩いていた途中に発見したのは…。

 

Zermatt-Myoko

鳥居の形をした看板でした!

よく見ると「妙高/MYOKO」と書いてあります。

 

Zermatt-Myoko

 

気になって中へ入ってみます。
雪に埋もれているけれど、中にも「妙高」の文字の看板があります。

 

Zermatt-Myoko

 

さらに奥の建物に進んでいくと、ツェルマットの建物とは全く雰囲気の違う門構えの日本食レストランがありました!(ツェルマットの公式サイトにあるMyokoのページはこちら

 

Zermatt-Myoko

ここに来たのは朝方だったので、まだ営業はしていませんでした。

Zermatt-Myoko

 

日本語でメニューが書いてあることに感動!
メニューは定番のお寿司や天ぷら、鉄板焼きや和食のコースメニューがありました。
長期でツェルマットに滞在をする日本人の方も多くいますし、ホテルの洋食ばかりを食べているとやっぱり恋しくなるのは食べ慣れている日本食ですよね。

他にも自分の家族をスイスに招いた時に、日本食が食べたいというリクエストにも答えられたり、現地スイスの方にとっても本格的な日本食が食べられます。

なぜこんなところに日本食レストランが…?と思いましたが、色々と考えてみると、そんなときに強い味方になりますね!

今回は、お店のオープン前だったということと、数日後には日本に戻る予定だったので、この滞在中は妙高レストランの利用しませんでしたが、次回は是非利用してみたいと思います。

 

Zermatt-Myoko

 

そもそも、なぜ「妙高」の名前がレストランに付いているのかという疑問があると思いますが、
しばらく歩いているとその疑問が解決!

実は、スイスのツェルマット村と日本の妙高市(旧妙高高原町)は姉妹都市だったんですね。
この記念碑には1968年5月10日という日付が刻まれていますが、日本のプロスキーヤーである植木毅という人物がモンブラン北壁をスキーで制覇をしたのが1968年5月だったのです。

そして、1994年9月30日に妙高高原にて友好宣言に署名され、1997年5月24日にはツェルマットと妙高高原姉妹都市協定がツェルマットにて調印されました。その記念碑が上の写真です。

 

Zermatt-Myoko

 

他にも記念碑が建てられており、こちらは「ツェルマット&京都ツェルマット会」の友好記念碑で、2004年5月10日の日付が友好記念として刻まれています。

遠く離れた日本とスイスでこんな風に友好を結ばれていたなんて驚きと共に、そこに至るまでに尽力された方々は本当に素晴らしいと思います。

 

Zermatt-Myoko

 

そして、次にスイスと日本の繋がりを発見したのは、山の上のゴルナーグラートでした。

景色を楽しんでいると、突如現れたオレンジ色のプレートが張られた白いコンテナ。
このプレートに日本とスイスの国旗が並んでいるのに惹かれて見てみると、そこに詳しい説明書きがありました。

日本語の部分を抜粋すると、

『この建物の中には太陽表面の爆発
により生成される太陽中性子
検出する装置が設置されています。
大気の吸収が少ない高山が、観測
に最適です。この観測は1998年
1月より日本とスイスとの共同研究
で実施されています。 日本側の
機関は名古屋大学太陽地球環境研
と日大です。』

と書かれていました。こんなところにもスイスと日本の繋がりを発見!
ちなみに、スイス側の研究機関はベルン大学のようです。

 

Zermatt-Myoko

 

上の写真の右下にある白いコンテナが研究施設です。
このコンテナの壁面に先ほどのオレンジのプレートが貼ってありました。

ツェルマットという日本と遠く離れた村に、こんなに多くの繋がりがあるとは思わなかったので、
とても驚いたとともに親近感を持って観光をすることができました。

こういう繋がりも、日本人がツェルマットに惹かれる理由であるかもしれませんね♪

 

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